2011年2月10日

ビタミンAの話①
-発見の歴史と悲運-


ビタミンの多くは欠乏症の原因として発見されています。発見された順にABCと命名していったのでビタミンAは最初に発見されたビタミンということになります。

ビタミンAは眼球乾燥症の原因を解明している時に見つかりました。構造が決定されたのは1931年のことです。その後視覚における機能が明確になりレチナ(網膜)を語源としてレチナールと命名されました。ビタミンA欠乏で夜盲症が起こることはご存知でしょう。

ビタミンAと光感受のメカニズムは次の通りです。オプシンというたんぱく質に11-シスレチナールが結合してロドプシンという構造を作ります。ロドプシンに光が当たるとレチナールがトランス型に変わりたんぱく質との親和性が低下して細胞のNA透過性を変え電気信号を送ります。光を電気信号に変える要がビタミンAです。最初の発見の経緯からビタミンAは「眼のビタミン」と思っている方も多いでしょうが、眼球結膜だけでなく全身の粘膜や皮膚の正常な分化、粘液の分泌などに重要な役割を持っています。

さて、ここでビタミンAにとって不運な出来事が起こります。探検隊が北極グマの肝臓を食べた時に中毒症状を起こしました。確認のために北極グマの肝臓を犬に与えると肝臓に障害が起こりました。「ビタミンAを過剰に摂ると副作用が起こる」という評価はここから生まれました。一度定着した説を覆すことは難しく、その後は一度も副作用に関する再評価が行われることがありませんでした。

1960年代にビタミンA結合たんぱくが発見され、その後抗腫瘍作用に関する研究が発表されるとビタミンAへの期待がにわかに高まります。1987年にはレチノイン酸(ビタミンA代謝物)に対する核内の受容体が発見され遺伝子の発現を制御していることがほぼ確定的になりました。1996年オスロの国立極地研究所が北極グマの肝臓から内分泌攪乱物質を発見しようやくビタミンA過剰による副作用の汚名が返上されたのです。

ビタミンAの潜在的な可能性には計り知れないものがあります。アトピー性皮膚炎や花粉症などの皮膚・粘膜に関わる疾患の改善、急性前骨髄性白血病の分化誘導療法、がんの予防作用など必ずや人類の幸福に貢献するはずです。ところが「ビタミンA125000単位以上摂取すると危険である」という誤った教科書の記載がなかなか書き変わることがないので、高容量のビタミンAサプリメントを使用する機会が狭まっています。

次の回では、ビタミンAはどのように吸収、貯蔵、運搬されているのか、遺伝子制御に関わるレチノイン酸(ビタミンAから出来る物質)はどのように濃度が制御されているのか、といった基礎知識を説明します。体の制御機構を理解すればビタミンAの安全性について必ず納得していただけるものと考えています。